大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和53年(ワ)708号 判決

原告

敷地章

右訴訟代理人

畑山実

島林樹

火野和昌

安田昌資

右訴訟復代理人

中田利通

被告

右代表者法務大臣

奥野誠亮

右指定代理人

榎本恒男

岩谷久明

主文

一  被告は原告に対し、金五五万円及び内金五〇万円に対する昭和五〇年三月一日から、内金五万円に対する同五三年二月一一日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを五分し、その四は原告の、その余は被告の各負担とする。

事実《省略》

理由

一請求原因1の(一)ないし(四)の事実(無罪判決確定に至る経緯)については当事者間に争いがない。

二公権力行使の違法性の判断基準について

そこで、本件起訴前の勾留状発付請求、勾留期間の延長請求、これに対する各決定並びにその執行、公訴の提起・追行及び起訴後の勾留期間の更新決定が、各担当検察官及び裁判官の違法な公権力の行使に該当するか否かについて判断することとする。

ところで、刑事事件においては無罪の判決が確定したというだけで直ちに起訴前の勾留等、公訴の提起・追行、起訴後の勾留が違法となるということはないというべきである。けだし、勾留はその時点において犯罪の嫌疑について相当な理由があり、かつ必要性が認められるかぎりは適法であり、公訴の提起は検察官が裁判所に対して犯罪の成否、刑罰権の存否につき審判を求める意思表示にほかならないのであるから、起訴時あるいは公訴追行時における検察官の心証は、その性質上、判決時における裁判官の心証と異なり、起訴時あるいは公訴追行時における各種の証拠資料を総合勘案して合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑があれば足りるものと解するのが相当だからであるところ(最高裁判所昭和五三年一〇月二〇日判決民集三二巻七号一三六七頁参照)、本件においては、先ず検察官福地の公訴提起について、その違法性の有無を判断する。

三公訴提起の違法性(請求原因4の事実)について

本件刑事事件における争点は、原告が本件事故の加害車両を運転していた犯人と同一人物であるか否かにあつたこと、検察官福地が、請求原因4の(一)の①ないし④の理由により原告と犯人との同一性を立証しうると判断して本件公訴を提起したことは、当事者間に争いがない。

そこで、以下(1)原告の供述に対する評価、(2)本件加害車両の運転者は原告であるとの保立供述の信憑性、(3)被害者の着衣に付着していた車両の塗料痕と原告車両の塗料との同一性の有無に関する高生鑑定の評価、(4)原告車両と加害車両との同一性の立証に関する目撃者の供述の評価を中心に順次、検察官福地の右判断の合理性の有無について判断する。

1  原告の供述に対する評価

(一)  〈証拠〉によれば、次の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。

(1) 原告は、捜査段階において一貫して自己の無実を主張し、本件事故発生時刻前後の自己の行動については、概ね三河島駅付近の喫茶店「美松」の前において原告車両の修理を行い、その後、友人の星野忠男を助手席に同乗させて同喫茶店前を鶯谷方面に向けて出発し、途中原告の父親宅に電話をして、再び原告車両を運転して三河島駅を少し通過した所で右星野を降車させ、更に鶯谷方面に向けて通称三河島駅前通りを直進し、三菱銀行日暮里支店の角を左折してバス通りに入り、金杉上町交差点を右折して通称昭和通りに入り、センターライン寄りを高速道路入谷入口方向に向かつて走行中、入谷町北派出所前で大川内誠巡査の検問にあつた旨供述していた。

右原告の供述は、時刻の点に関する点では不明確なものであつた。

(2) 本件事故発生当日の夜、原告車両の助手席に同乗していた星野は、原告車両に同乗して喫茶店「美松」の前を出発してから自分が降車するまでの間の原告の行動について詳細な供述をしておらず、また降車した際の様子について、原告の供述と若干喰い違いのある供述をしているものの、原告車両の助手席に同乗して喫茶店「美松」の前を出発してから星野が降車するまでの原告車両の走行経路については原告の供述と合致する供述をしていた。

(3) 原告及び右星野の本件事故当日の夜の行動に関しては、検察官福地が本件起訴当時にすでに収集ずみの証拠によつて、次の各事実が確定されていた。

すなわち、①酒井実及び右星野の各供述により、原告が午後一〇時ころから同一一時三〇分ころまでの間、喫茶店「美松」の前において原告車両の修理をしていたことが、②高橋秀夫、山城慶子、飯塚正三及び右星野の各供述により、星野が午後一一時四五分ころから同五五分ころまでの間に原告が供述する星野の降車地点近くの喫茶店「ナイアガラ」に現われたことが、③前記大川巡査の供述により、原告が午後一一時四七分ころ入谷町北派出所前を原告車両で走行中同巡査の検問にあつたことが、④龍野庄三ほか作成にかかる捜査報告書により、喫茶店「美松」の所在地が荒川区荒川三丁目六五番二号であること、同「ナイアガラ」の所在地が同区東日暮里六丁目六番七号であること、喫茶店「美松」から同「ナイアガラ」までの距離は約四〇〇メートルで、自動車で走行した場合の所要時間は約一分五〇秒であること、喫茶店「美松」から原告の供述する走行経路に従い入谷町北派出所までの距離は約一四〇〇メートルで、自動車で走行した場合の所要時間は約六分三〇秒であること、喫茶店「美松」から通称三河島駅前通りを鶯谷方向に走行して同「ナイアガラ」に至り、そこで方向転換をしたうえ、宮地交差点を右折して明治通りを経由し、更に大関交差点を右折して本件事故現場に至るまでの距離は約二六〇〇メートルで、自動車で走行した場合の所要時間は約六分五四秒であることが確定されていた。

(二) 以上認定したところによれば、原告の供述自体が時刻の点に関し不明確であるのみならず、本件事故当日の夜の原告及び原告車両の助手席に同乗していた星野の行動に関する関係者の各供述も、時刻の点に関しては確定的かつ正確なものとはいえず、相当の時間的幅があり、これに対して、喫茶店「美松」、同「ナイアガラ」、入谷町北派出所の所在場所がいずれも本体事故現場に近く、深夜自動車で走行すれば一〇分以内の距離にあるので、原告が本件事故現場を走行していたとしてもそのことと検察官福地が本件起訴当時にすでに収集ずみであつた証拠により確定されていた事実(前記三の2の(一)の(3)認定事実)とは矛盾しないのであつて、検察官福地が想定したように、原告が本件事故発生当日午後一一時三〇分ころ、助手席に星野を同乗させて喫茶店「美松」の前を出発し、宮地交差点、明治通り、大関交差点を各経由して本件事故現場に至つた(検察官福地が右のように原告車両の走行経路を想定していたことは当事者間に争いがない。)とみることも、証拠上必ずしも不合理ということはできない。そうとすると、検察官福地が本件起訴当時にすでに収集ずみの証拠によつて、原告主張(請求原因4の(二))のアリバイの証明ができたとは到底認めることはできない。

(三)  しかしながら、検察官福地が想定した右走行経路を原告車両が走行したとみることが証拠上必ずしも不合理ということはできないとしても、他面、本件全証拠によるも、右走行経路を原告車両が走行したことを直接裏付ける証拠はないのであり、かえつて、前記認定事実によれば、原告の供述にはそれ自体明らかに不合理な点はなく、原告車両の同乗者である星野の供述を含む関係者の供述によつてある程度裏付けられていたと認められるのであつて、その供述を単なる弁解として片付けることは許されず、原告の供述により原告と犯人との同一性の立証には一応の疑いが提起されたものとして、その供述にも十分な配慮を払いつつ、その他の証拠の評価をなすべきものであつたといわざるをえない。

2  保立供述の信憑性(請求原因4の(三)の(2)の事実)について

(一)  〈証拠〉によれば、以下の事実が認められ、この認定に反する〈証拠〉は措信しがたく、他にこの認定に反する証拠はない。

(1) タクシー運転手保立慎二郎は、通称昭和通りの第二車線を千住方面から上野方面に向かい走行中の加害車両の後方数メートルの第一車線を走行中、本件事故の発生を目撃した。加害車両は事故現場から約五〇メートル離れた路上に停止し、犯人は下車し、追いついて停車した保立の車両の左側の所に出て来た。保立は、半開きにしてあつた助手席の窓越しに「君、人をはねて、早く三の輪の交番に行かなくちや死んじやうよ。」と言うと、犯人は「運転手さんそうします。」と答え、このように言葉を交わす間に、保立は犯人の人相、特徴等についていくつかの印象を受けた。保立が、犯人の言葉を信用して犯人が加害車両をバックさせるのをバックミラーで見守つていると、加害車両は急に一方通行路を左折して通称国際通り方面に逃走した。そこで、保立は、直ちにその後を追跡したがこれを見失つたので、三の輪派出所に事故の発生を届け出、犯人の特徴について「中年の男、鼻ひげ、眼鏡」、加害車両の特徴について「上・国防色、下・クリーム色のツートンカラー」と述べた。

(2) 保立が右のとおり犯人を目撃した際の状況は、深夜一一時四〇分ころとはいえ、付近の照明により運転席において新聞の普通の活字が読め、運転席より後部のガラス越しに後方約一〇メートルまでの人間の身長、体格、服装、顔のりんかく、眼鏡使用の有無が識別できる程度の明るさであり、保立も比較的明るかつたとの印象を受けた。

(3) 保立は、本件事故発生の翌日である六月九日下谷警察署において、犯人の特徴について「四〇歳前後で角顔のようなかんじで、鼻の下にチヨビひげを生やしており、眼鏡をかけ、髪は普通の長さ、着衣服装についてはわかりませんでした。」と、加害車両の助手席に同乗していた男の特徴について「二〇歳から二五歳位で、髪は短かいようなかんじ」と供述した。

(4) また、保立は同日同警察署において、警察官より五、六枚の写真)原告の写真を含めて二枚)を示されたが、犯人の写真を特定できなかつた。すると、警察官がそのうち原告の写真を含む三枚の写真に絞つてくれたので、原告の写真が犯人に似ているようであるとして選択したものの、その際示された原告の写真は眼鏡をかけていなかつたことから、保立は、原告の写真をもつて原告が犯人であることを断定することはできなかつた。

(5) 保立は、原告が逮捕された六月一一日、下谷警察署より電話を受け、犯人の人相等について回答を求められ、犯人の人相について「鼻の下にコールマンひげ、金縁様の眼鏡、背が低い、一見ヤクザ風」と述べた。

(6) 保立は、六月一二日再び下谷警察署に出頭し、逮捕後の原告の写真を示され、犯人に相違ない旨供述し、更に、面通しを行つて原告が犯人に相違ない旨供述した。その後、保立は、七月二日東京地方検察庁において再び面通しを行い、再度、同様の供述をした。

(二)  以上(1)ないし(6)の認定を総合すると、保立供述は、直接犯人と言葉を交わした者の供述であり、その重要性は疑いのないところではあるが、人間の知覚、記憶それ自体に内在する不正確さに加えて以下のような弱点を有するものと認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

(1) まず第一に、保立が犯人を目撃した際の状況について検討してみるに、付近の照明により前記(2)に供述した程度の明るさがあつたとしても、深夜のことであり、更にまた、その時点での保立は犯人が逃走するとは思つておらず、ごく短時間、車の窓越しに犯人と言葉を交わしたにすぎない。このような目撃状況からすれば、保立の観察、認識内容に高い正確性を求めることには限度があるといわねばならない。

(2) 第二に、原告が逮捕される以前に、保立が犯人の特徴として述べるところは、それ自体で犯人を特定するのには不十分なものであり、六月九日に下谷警察署で行われた面割りの際の状況も、保立の記憶がさほど明確に犯人の人相を捕えたものでないことを示しているといわねばならない。そして、原告が逮捕された後に、保立が犯人の人相等について原告の特徴に合致したかなり具体的な供述をなし、更に原告が犯人であると断定するようになつたことは、原告が逮捕される以前のその供述と対比してみると、捜査機関による暗示、誘導によるものである可能性を払拭しきれないのであり、少なくとも、原告が現に本件事故の被疑者として逮捕された人間であるという前提で写真確認、面通しが行われている以上、そのことから自ずと原告が犯人ではないかとの暗示を受けることは否定しえないところであるから、保立が、原告が犯人であると断定したことを過大に評価することは危険が多いといわねばならない。

(3) 第三に、保立が犯人の特徴として述べるところは、なるほど原告と犯人との類似性を窺わせる事実(ひげ、眼鏡)を含んではいるものの、本件事故発生当時原告は二四歳、原告車両の助手席に同乗していた星野は三六歳であつたにもかかわらず、保立は犯人の年齢について「中年」ないし「四〇歳位」、加害車両の助手席に同乗していた男の年齢について「二〇歳から二五歳位」と供述する(保立の供述にこのような齟齬があることは当事者間に争いがない)など、原告の特徴と符合しない事実をも含んでいたのである。(もつとも、保立供述が、右の如く原告の特徴と符合しない事実を含んでいるからといつて右供述により認められる犯人像は必ずしも原告と矛盾するとまではいえない。)

したがつて保立供述は、原告と犯人との同一性を立証するうえで重要な証拠であるということはできても、以上のような弱点を有する以上、それのみで原告と犯人との同一性を合理的疑いを容れない程度にまで立証しうる証拠と判断することはできないというべきである。

3  高生鑑定の評価

〈証拠〉によれば、警視庁科学検査所物理科主任高生精也は、下谷警察署長司法警察員警視常世田溜吉の嘱託により、原告車両における衝突痕の有無、被害者の着衣に付着していた車両の塗料痕と原告車両の塗料との同一性の有無等について鑑定を行い、その結果、原告車両には顕微鏡検査によつても損傷を発見しえず、また被害者の着衣に付着していた車両の塗料痕は原告車両の上塗りの塗料(原告車両は上塗りがメタリック、二層がオリーブ緑色、三層が灰色による塗装がなされている。)に類似しているが、付着量が微量であるためその同一性は確定できない旨の鑑定結果を得たこと、右鑑定結果は昭和四八年八月一四日に書面化されたものであるが、検察官福地は本件起訴当時、その内容について一応の確認をしていたことが認められる。

そこで、右高生鑑定について検討してみるに、〈証拠〉によれば、本件事故は加害車両が被害者に衝突した時に「ガツン」あるいは「ドン」という大きな音がして、被害者は数メートルはね飛ばされ、その結果、加療約三カ月間を要する左下腿上部骨折等の傷害を負わされたものであつて、このような事故の態様からすれば、通常加害車両には被害に対応する損害が生じるものと認められるにもかかわらず、原告車両には顕微鏡検査によつても損傷を発見しえなかつたことからすると、高生鑑定は、原告車両と加害車両との同一性について疑問を投げかけるものということができ、少なくとも、被害者の着衣に付着していた車両の塗料痕と原告車両の上塗りの塗料とは類似するものとはいえ、その同一性は確定されなかつた以上、原告車両と加害車両との同一性を積極的に支持するものとはいえないというべきである。

4  原告車両と加害車両との同一性の立証に関する目撃者の供述の評価

(一)  〈証拠〉によれば、次の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。

(1) 保立が本件事故の発生及び犯人を目撃した状況は前記(三の3の(一)の(1))認定のとおりであり、更に、本件事故現場付近を上野方面から千住方面に向けて加害車両の対向車線を走行中の小川光啓は、本件事故が発生した横断歩道を通過した直後に右手後方で「ドン」という音がしたことから本件事故の発生に気付き、徐行運転をしながら自己の運転する車両の窓から加害車両が停車するのを目撃した。

(2) そして、保立は本件事故発生直後三の輪派出所において、加害車両の特徴について「上、国防色、下、クリーム色のツートンカラー」と述べ、さらに翌六月九日にも下谷警察署において右と同旨の供述をし、また小川も、右同日同警察署において加害車両の特徴について「色ははつきり判らないものの屋根が黒ぽく車体は灰色のツートンカラー」と供述した。

(3) その後、原告車両は差押えを受け、右警察署において保管されることになつたのであるが、保立及び小川は右保管中の原告車両を見て、加害車両と同型で色調も同一である旨供述するようになつた。

(二)  以上の認定事実を前提として、保立及び小川は右各供述について検討してみるに、原告車両の色調は屋根がクリーム色で車体が濃いグリーンのツートンカラーであり、前記認定のとおり本件事故発生直後の保立及び小川の加害車両の色調に関する供述はいずれも屋根と車体の濃淡について原告車両のそれと異つているのである。

仮に、鑑定結果等客観的な証拠により加害車両と原告車両の色調が同一であることが認められるのであればともかく、前記認定(三の3)のとおり高生鑑定の結果によれば、被害者の着衣に付着していた車両の塗料痕と原告車両の上塗り塗料との類似性は認められたもののその同一性は確定できなかつたのであつて、しかも〈証拠〉によれば、原告車両は三層の塗装が施されており、上塗りのメタリックは層が薄いため車を見た場合には二層目のオリーブ色が見えること、すなわち原告車両の色調を規定しているのは二層目の塗料であることが認められ、そうすると被害者の着衣に付着していた車両の塗料痕と原告車両の上塗りの塗料とが類似していることをもつてしても、加害車両と原告車両との色調が同一であることを推認しうるものではないのである。そうしてみると、後日、保立及び小川が原告車両を見て、加害車両と同型で色調も同一である旨供述はしているものの、そうだからといつて右両名が本件事故発生直後に加害車両の色調として述べたところは、二人ともが感違いないし言い違えたものであるということは強弁にすぎ、保立及び小川の供述により原告車両と加害車両とは同型同色であると認定することには疑問があるといわざるを得ない。

5  犯人は原告であり、加害車両の助手席に同乗していた男は星野であると仮定した場合の本件事故直後の原告及び星野の行動の検討

犯人は本件事故を起こした後、一旦車両を停車させて降車し前記保立と言葉を交わし、自首をするような様子をみせながら事故現場方向に加害車両を後進させ、急に方向をかえて一方通行道路を左折して通称国際通り方面に逃走し、また加害車両の助手席に同乗していた男は犯人の逃走と同時にタクシーに乗車して上野方面に逃走したこと、原告は本件事故発生当日午後一一時四七分ころ、入谷北派出所前を走行中前記大川内巡査の検問にあい、その際同巡査に対し、からかうように免許証をちらつかせてみたり、つつかかるような態度をとつたこと、星野が右同日の夜喫茶店「ナイアガラ」に現われたことは当事者間に争いがなく、星野が右喫茶店「ナイアガラ」に現れた時刻は午後一一時四五分ころから同五五分ころまでの間であると認められることは前述のとおりである。

犯人が原告であり、加害車両の助手席に同乗していた男が星野であると仮定した場合、前記1の(一)(3)の認定事実によれば、右に認定した原告及び星野の行動は時間的に不可能であるということはできないものの、右に認定した原告の行動には犯人の行動としては若干の不自然さを感じざるを得ない。

6  まとめ

以上の事実によれば、検察官福地は、本件事故の加害車両の運転者は原告である旨の保立供述はあるものの、右供述は前記認定のような弱点を有し、それのみで原告と犯人との同一性を合理的疑いを容れない程度にまで立証しうるものとはいえないにもかかわらず、これを過大評価し、反面原告が本人犯行を否認して本件事故発生前後の自己の行動として供述するところはある程度裏付けられており、しかも、原告が犯人であると判断するに足りる科学的客観的証拠がなく、かえつて、証拠上、原告が犯人であると判断するにはいくつかの疑問があつたにもかかわらず、これらを可能性と推測するにより排斥し、原告が供述する走行経路と全く相反する走行経路(この走行経路を原告が走行したことを直接裏付ける証拠はない。)を前提に原告と犯人との同一性を立証しうると判断したものといわざるを得ない。そうとすると、右認定は、検察官に認められた自由心証の範囲を逸脱したものであり、その結果、公訴事実について証拠上合理的な疑いがあり有罪判決を得る可能性がきわめて乏しいにもかかわらず、これを看過して公訴を提起したものであつて、右公訴提起は、検察官福地の過失による違法な公権力の行使であると認めざるを得ないのである。

四起訴前の勾留等の適法性(請求原因3の事実)について

1  起訴前の勾留状発付請求、同令状発付及びその執行の適法性

〈証拠〉によれば、本件起訴前の勾留状発付請求及び同令状発付は別表一記載の疎明資料に基づきなされたものであるが、右疎明資料によれば、原告は本件事故とは無関係である旨供述してはいるものの、本件事故発生当時の自己の行動について具体的に供述していたわけではないこと、前記保立は原告が犯人である旨供述していたこと、右保立及び前記小川は原告車両と加害車両とは同型同色である旨供述していたことを認定できることが認められる。

たしかに、右保立及び小川の各供述を詳細に検討すれば、前記(三の2及び4)に認定したような弱点ないし疑問点があるのであるが、しかし捜査の流動性、発展性に照らしてみると、本件事故を目撃した者の右のような供述がある以上、右疎明資料に基づいて勾留の要件である原告が被疑事実につき罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由があると判断し、勾留状発付請求及び同令状発付をなしたことにつき、担当検察官及び裁判官に何ら違法の点はないと認められ、したがつて、右適法に発付された勾留状に基づき原告に対する勾留を執行することも何ら違法なものではないと認められるのである。以上の認定を左右するに足りる証拠はない。

2  起訴前の勾留期間延長請求、同決定及びその執行の適法性

〈証拠〉によれば、本件勾留期間延長請求及び同決定は別表一、二記載の疎明資料に基づきなされたものであるが、右疎明資料によれば、右に認定した勾留の際の事情に加えて、原告は本件事故発生時刻ころの自己の行動について概ね前記三の1の(一)の(1)に認定したとおりの供述をしていたこと、右原告の供述について原告車両の助手席に同乗していた前記星野他関係者数名の取調べ等裏付け捜査が行われ、概ね前記三の1の(一)の(2)、(3)に認定したような事実が明らかになつていたことは認められるものの、なお捜査の流動性、発展性に照らせば、右疎明資料に基づき勾留期間延長の要件の一つである原告が被疑事実につき罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由があると判断することに何ら違法の点はないと認められる。

更に前掲各証拠によれば、本件刑事事件の如き否認事件にあつては、被疑者の供述についての裏付け捜査が重要であるが、前記星野及び保立(特に、保立は後難をおそれて検察官からの再三にわたる呼出に応じなかつた。)を中心とする関係者に対する検察官の取調べが未だになされていないなど更に捜査の必要があつたこと、下谷警察署長司法警察員警視常世田溜吉は、被害者の着衣に付着していた車両の塗料痕と原告車両の塗料との同一性を有無等に関する鑑定を警視庁科学検査所に嘱託中であつたところ、勾留期間満了時までにその結果の確認ができなかつたことが認められ、これらの事情に鑑みれば、勾留期間を延長することについてやむを得ない事由があると判断することにもまた何ら違法の点はない。

なお、原告は右勾留期間の延長は、原告の要求にもかかわらず何ら積極的な捜査もなさず参考人取調未了を理由になされたものである旨主張するが、右に認定したように原告の供述に関連して、前記星野他関係者数名の取調べ等裏付け捜査が行われていたことが認められるのであつて、勾留期間を延長して更に捜査を行う必要のあつたことが原告主張の如く捜査機関の怠慢によるものということはできない。

したがつて、本件勾留期間延長請求、同決定及びその執行をなすにつき各担当検察官及び裁判官には何ら違法の点はないと認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

五公訴追行及び起訴後の勾留の違法性(請求原因5の事実)について

検察官福地が、本件起訴時にすでに収集ずみの証拠によつて原告と犯人との同一性を立証しうると判断したことは、検察官に認められた自由心証の範囲を逸脱するものであり、その結果、同検察官は、公訴事実について証拠上合理的な疑いがあり有罪判決を得る可能性がきわめて乏しいにもかかわらず、これを看過して本件公訴を提起したものといわざるを得ないことは前記三に詳述したとおりであるところ、本件全証拠によるも、本件公訴提起後に原告と犯人との同一性を立証する新らたな証拠の収集があつたとは認められない。

そうとすると、検察官高橋が判決言渡しに至るまで公訴追行の各段階に必要とされる犯罪の嫌疑が認められると判断して本件公訴を維持・追行したこともまた、同検察官の過失による違法な公権力の行使にあたるといわざるを得ない。

更に、起訴後の勾留更新決定においては、被告人が公訴事実について罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由があることがその要件とされるところ、右要件は起訴時に要求される犯罪の嫌疑と必ずしも同一ではないというものの、勾留期間更新の制度が定期的に更新決定時点における勾留の要件の存否について司法審査を行わせ、被告人を不必要な身柄拘束から解放することを目的とするものであることに照らしてみると、前記三に認定した事情のもとで、裁判官西村及び同秋山がそれぞれ勾留期間の更新決定時において、原告が公訴事実について罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由があると判断して請求原因1の(四)記載のとおり原告に対する勾留期間の更新決定をなし、もつて判決言渡しに至るまでその身柄を拘束したことは、いずれも右各裁判官の過失による違法な公権力の行使にあたると認めざるを得ないのである。

六損害

原告が、本件公訴事実については証拠上合理的な疑いがあり有罪判決を得られる可能性がきわめて乏しいにもかかわらず、昭和四八年七月二日公訴の提起を受け、昭和五〇年一月三〇日無罪判決を受けるまで本件刑事事件の被告人の地位におかれ、かつその間、公訴事実につき罪を犯したことを疑うに足りる相当の理由がないまま身柄の拘束を受けたことは、すでに認定したとおりであるところ、原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、このことにより原告が精神的苦痛を受けたことは明らかである。

ところで、原告は、昭和四八年一月一八日、東京地方裁判所において恐喝未遂、傷害被告事件について懲役二年六月の判決を受け、右判決は同年八月三日確定し、右身柄拘束期間中である同月一六日から東京拘置所において右刑の執行を受けていたことは原告の自認するところである。そうとすると、原告が本件刑事事件の被告人として勾留中であることにより右刑の執行上不利益を受けたことは、原告本人尋問の結果によつてこれを認めざるを得ないものの、他方、本件刑事事件の被告人として勾留されたことにより、原告主張のように財産的損害を受け、また妻とも離婚するに至つたということはできない。

そして、これらの事情に前記認定にかかる身柄拘束の期間、検察官及び裁判官の過失の態様等を総合考慮すると、原告の精神的苦痛を慰藉するのには金五〇万円をもつて相当であると認められる。

また、本件記録添付の原告の委任状並びに弁論の全趣旨によれば、原告は自己の権利擁護上、本件刑事事件における違法な公権力行使による損害の賠償を求めるため本訴を提起することを余儀なくされ、原告訴訟代理人らに本訴の提起・追行を委任し、その報酬として認容額の一割を支払う旨約したことが認められるので、右報酬額は、右慰藉料額金五〇万円の一割であるが、本件事案の内容、請求金額、認容金額その他諸般の事情を考慮すると、右金五万円は本件訴訟に必要な相当額の出捐であると認められる。

七以上認定したところによれば、本訴請求は、金五五万円の損害賠償及び内金五〇万円に対する不法行為の日の後である昭和五〇年三月一日から、内金五万円に対する訴状送達の日の翌日である同五三年二月一一日から各支払ずみに至るまで年五分の割合による民法所定の遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないので棄却し、訴訟費用の負担については民事訴訟法八九条、九二条本文を適用し、本件には仮執行の宣言には適切でないのでこれを付さないこととして主文のとおり判決する。

(丹野益男 岡部崇明 綿引万里子)

公訴事実

被告人は

第一 昭和四八年六月八日午後一一時四〇分ころ、業務として普通乗用自動車を運転し、東京都台東区竜泉二丁目二〇番五号先の道路を千住方面から上野方面に向かい時速約五〇キロメートルで進行するにあたり、進路の前方には横断歩道が設けられていたので、前方左右を注視し、同横断歩道上の横断歩道者の有無および動静に留意し、進路の安全を確認して進行すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、前方注視不十分のまま右横断歩道上の歩行者の有無などに留意せず漫然前記速度で進行した過失により、おりから、右横断歩道上を右から左に小走りで横断していた家田鎌次郎(当時七五年)に気づかず、自車を同人に衝突させて路上に転倒させ、よつて、同人に加療約三カ月間を要する左下腿上部骨折等の傷害を負わせた

第二 前記日時・場所において、前記のごとく交通事故を起こしたのに、

(一) 直ちに車両の運転を停止して右負傷者を救護する等法律の定める必要な措置を講じなかつた

(二) 事故発生の日時・場所等法律に定められた事項を直ちにもよりの警察署の警察官に報告しなかつた

ものである。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例